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LUNA SEA(ルナシー)-JESUS
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LUNA SEA(ルナシー)-JESUSのライヴ映像です。
LUNA SEAでは一番好きな曲だったりしますw

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LUNA SEA(ルナシー)は、主に日本で活動していたロックバンド。 80年初頭前後のゴシックロックやニューウェイヴ、70年代前後のプログレ・・・他にもポジパン、メタル、テクノ、クラシックといった多ジャンルの影響から創り出す独自の音楽、また黒服・女的なメイクに代表される外見なども含めて、いわゆるヴィジュアル系の代名詞的な存在であり、後発バンドに与えた影響は黒夢と並び非常に大きい。RYUICHI(リュウイチ):ボーカル /SUGIZO(スギゾー):ギター&バイオリン/INORAN(イノラン):ギター/J(ジェイ):ベース/真矢(シンヤ): ドラムス&パーカッション
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LUNA SEA(ルナシー)-JESUS

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【 関 連 情 報 】

[LUNA SEA(ルナシー)とは]

結成~初ライブ
1989年1月INORANとJが所属していたLUNACYへPINOCCHIOに所属していたSUGIZOと真矢が加入する。この時期に在籍していたボーカルが脱退した後、SLAUGHTERにいたRYUICHIが加わり、5月6日にこの5人でインディーズ活動を開始。5月29日には町田プレイハウスにて初ライブを成功させる。ちなみにこの時、「ここで5人で音を出した時、これだ!と思った。」と、後に各メンバーが異口同音で語っているのは有名な話である。以後、町田を拠点としてライブを精力的に続け徐々に人気を獲得していく。1990年11月、目黒ライブステーションでのワンマンライブを機に、バンドの表記をLUNA SEAに改める。


HIDEとの出会い~インディーズでアルバムリリース
精力的にライブ活動をこなしていったLUNA SEAは、この過程でX JAPAN(当時 X)のYOSHIKIやHIDEに誘われ、YOSHIKIが主宰するエクスタシーレコードから1991年4月に1stインディーズアルバム「LUNA SEA」をリリースする。この年は、ライブハウスツアーを3本こなす。そんな中9月19日には日本青年館、年末の12月29日・30日には日本青年館2DAYSを成功させるなど、会場のキャパは確実にグレードアップしていった。


メジャーデビュー~初の日本武道館
1992年5月には2ndアルバム「IMAGE」でMCAビクター(現:ユニバーサルミュージックK.K.)よりメジャーデビューをはたす。ツアーは前半、「TOUR 1992 IMAGE OR REAL」・アンコールツアーを行い、東京ではアンコールツアーの最終日、日比谷野外音楽堂に進出をはたす。10月1日には渋谷公会堂をも制覇し、バンドとしての勢いは一気に加速していった。そして翌年の2月24日、記念すべき1stシングル「BELIEVE」をリリース。その後ツアーを行い、ツアー中に3rdアルバム「EDEN」をリリースする。8月にはアンコールツアーを東・名・阪で行ったが、最終日の初武道館2DAYSの8月26日・27日の内、27日が台風に見舞われ、延期して30日に振り替えられるというアクシデントが発生。彼等が「嵐を呼ぶバンド」と呼ばれるきっかけを作った。


年頭からアクシデント~「ROSIER」で大ブレイク
1994年頭は、引き続き昨年からのツアーでスタートをきったLUNA SEA。最終日の横浜アリーナ公演では豪雪に見舞われ、一時開催が危ぶまれる事態に。「やっぱり嵐を呼ぶバンド」と周囲に知らしめる。しかしながらこの日のライブは大成功を収めた。そして7月21日発売の3rdシングル「ROSIER」がオリコン初登場3位にランクインしロングヒットを記録、一躍シーンのトップに躍り出る。ミュージック・シーンにおいて演奏力のあるバンドと、徐々に注目され始めた時期であった。その後、夏はLSB(w/SOFT BALLET、BUCK-TICK)イベントで各地をまわる。また、9月発売の4thシングルの「TRUE BLUE」ではオリコン初登場1位を記録し、4thアルバム「MOTHER」は1位こそ逃すものの、ロングセールスとなり約70万枚の売り上げを記録。各方面で絶賛された名盤として評価が高い。ちなみに年末は日本武道館で締めくくった。


トップクラスのバンドへ~東京ドームライブ
1995年はシングル「MOTHER」(アルバムMOTHERからのシングルカット)・「DESIRE」リリースのヒットと同時に、3月から「TOUR 1995 MOTHER OF LOVE.MOTHER OF HATE 」で全国を周る。そして12月23日、初の東京ドームライブ「LUNATIC TOKYO」を決行。チケットは瞬時にソールドアウト、6万人を動員し、バンドとして人気を不動の物にした。


ライブの96年~活動休止へ
1996年はまず7thシングル「END OF SORROW」で始まる。オリコン1位を記録し、約1ヶ月後には5thアルバム「STYLE」をリリース。アルバムでは初めてのオリコン1位である。7月、横浜アリーナ2DAYSを皮切りに全国ツアーがスタート。10月からはアンコールツアーと題して約2ヶ月間のロングツアーを決行し、普段はあまり行かない様な地区を中心にライブを行う。そして12月に前代未聞の真冬に野外である横浜スタジアムでのライブを開催。ここで97年の1年間、バンド活動を休止する事を発表する。


それぞれがソロワークを行った97年~活動再開へ
この年、メンバーの5人は思い思いの活動をしていったと言える。まずボーカルのRYUICHIは本名の河村隆一でソロ活動を開始。わずか1年の間にソロシンガーとしての地位を不動のものにし、年末には紅白歌合戦にも出場。また、アルバム「LOVE」は300万枚以上の売り上げを記録しており現在の男性ソロシンガーとしては最高位の売り上げである。また俳優・タレントしてもテレビ・ドラマなどにも出演しお茶の間にも進出した。もちろん、SUGIZO・INORAN・J・真矢もそれぞれに精力的な音源製作・ライブ活動で5人が5人独特の活動を展開して見せた。特に真矢に至ってはシンガーデビューも果たしている。そして12月17日、赤坂ブリッツにて活動再開会見&復活ライブを行う。


復活~再び東京ドームへ
98年はシングルの連続リリース「STORM」・「SHINE」・「I for You」で始まった。どれも大ヒットを記録した。夏には横浜スタジアムでのライブ2DAYSを行い、久々に5人揃ったステージでファンを安心させた。また、6thアルバム「SHINE」はミリオンヒットを記録し、そのアルバムを引っさげての全国ツアー「Tour'98 SHINING BRIGHTLY」を行い、年末には実に3年ぶりとなる東京ドームライブ2DAYSをツアーファイナルとして「SHINING BRIGHTLY FINAL END OF PERIOD in TOKYO DOME」を大成功に収める。年末にはバンド初となる紅白歌合戦への出場を果たした。


数々の伝説を残した99年
1999年は1月から初のアジアツアーを決行し台湾・香港・上海を周り、各地でライブ活動を展開し、大成功を収める。5月29日には初のライブアルバム「NEVER SOLD OUT」をリリース。翌日の5月30日にはバンド結成10周年を記念した野外ライブ「NEVER SOLD OUT CAPACITY∞」を行い、東京ビッグサイトスペシャルオープンステージに10万人を集める。しかしこの公演日の何日か前に東京地方を襲った強風により巨大セットが崩壊(真矢のドラムセットは1台丸々瓦礫の下敷きに)。またも開催が危ぶまれるアクシデントに見舞われた。しかしメンバーとスタッフの強い意志により、最低限のセットでライブを行う(ちなみにメンバー・スタッフによる会議で崩壊した廃墟(セット)をバックにライブを行おうと言い出したのはSUGIZOである)。12月23日、SUGIZOとGLAYのTAKUROのお酒の席でのSUGIZOの一言から始まったLUNA SEAとGLAYの対バン、「The Millennium Eve」を東京ドームで決行し5万6千人を動員する。軽く東京ドームを満杯にできるほどのトップバンド同士の大規模な対バンだった。


0時0分から活動スタート~まさかの終幕
2000年1月1日0時0分、カウント・アップ・ライブをZepp Tokyoでスタートさせる。この年は「gravity」・「TONIGHT」・「LOVE SONG」の3枚シングルをリリース。ライブ活動も精力的にこなした。夏には7thアルバム「LUNACY」をリリース。その直後、香港・台湾でも公演を行い、11月8日にはまさかの「終幕」を発表。ちなみにあえて「解散」ではなく「終幕」を選んだのは彼等なりの優しさの現れである。そして12月23日にはファンの投票に因って選曲されたベストアルバム「PERIOD」をリリースし、20世紀最後のオリコンチャート1位を獲得。12月26日・27には東京ドームで「LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME」を決行。このライブをもってLUNA SEAは12年にわたる活動を終幕させた。


終幕後の活動
97年の活動休止中からソロアーティストとしてもキャリアをスタートさせていた5人は、終幕後、その歩みを進めるべく5人5様の活動を続けている。 また、多くのアーティストは解散後ファンクラブも終了する場合が多いが、解散後もファンクラブSLAVEは存続しており、こういったケースは極めて異例である。 そして今、雑誌のインタビューでそれぞれの活動(J・真矢・FAKE?・SUGIZO/SHAG)としてある一つの 雑誌のインタビューを受けたとき、LUNA SEA開幕について聞かれたときSUGIZO以外のメンバーはそれに肯定的なことを言っていたが、SUGIZOは断固として反対しているらしい。SUGIZO曰く「開幕してほしいっていう人はあのときの感覚を再体験したいだけなんだよ。」という発言をしている。しかし、市川哲史の著作『私が「ビジュアル系」だった頃』でのインタビューでは「失敗の要因を全部クリアできて、もう一度5人が人間的に繋がり合えるのであればリ・スタートとしてありかも。」と語っており、再結成を完全否定しているわけではないようだ。

-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋-

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